マンションでの水漏れ!
配管の詰まりで下の階が水漏れ!そんなことありませんか?
私の知り合いの女性が次のような話をしてくれました。
彼女が賃貸で借りているマンションで、ある日仕事から帰ると、部屋の中で天井から水がポツポツ落ちる音が聞こえました。電気をつけてみると、天井から水漏れしているのが分かりました。部屋を見回すと、ベッドは完全に濡れており、バスルームの天井からも水が漏れていました。一体どこからの水なのかもわからず、お風呂に入る気にもならず、ベッドで寝ることもできなかったため、彼女は床に別の布団を敷いて寝ました。後で分かったことですが、水漏れの原因は上階のバスルームの排水管からでした。
彼女はすぐにマンションの管理会社に連絡し、スタッフが来て一時的に修理をしてくれました。水で濡れた寝具やベッドは快適ではなかったので、新しいものを購入しました。火災保険の対応について保険会社に問い合わせたところ、濡れた物の総額の10%しか保険金が支払われないと言われました。彼女は領収書の写しを送り、保険金はすぐに支払われましたが、水漏れから2ヶ月経った今でも、ふやけた天井の修理はされていません。被害に遭った彼女は非常に怒っており、相談したところ、最終的には弁護士に相談するよう勧められました。
この管理会社は名の知れた会社で、規模も大きいのですが、対応が遅いです。担当者が対応できないか、難しいのかは不明ですが、このような状況を目の当たりにして、「人の振り見て我が振り直せ」ということわざのように、火災保険の確認と管理は重要だという教訓を得ました。しかし、入居者が火災保険を更新しないケースも多く、管理会社やマンションオーナーはこの問題で頭を悩ませています。もし被害者が賃貸住宅用の火災保険に加入していなかったら、管理会社はどう対応するのでしょうか?「火災保険に加入していないため、弁償の保険金は支払えません」と言うわけにもいかず、結局は管理会社とマンションオーナーの間で複雑な問題になるでしょう。
この話は現在も続いています。
彼女は、管理会社から適切な対応を得られなかったため、マンションのオーナーに直接連絡を取ることにしました。驚いたことに、管理会社からオーナーへはこれまで何の報告もされていなかったようです。オーナーはこの事態を知り、迅速に対処すると約束しました。
この件に関して新しい情報が入り次第、さらに報告させていただきます。
区分所有建物についての水漏れも後日ブログにUP致します。
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大阪ミナミ 高島屋前の戎橋筋にあった、大阪市立精華幼稚園・精華小学校の出身です。現在エディオン。
なんばスケート場・なんばプール・千日ファミリープール、今あるマルイの地下にあった、ゲームセンター等を幼稚園の時から遊び場にし、小学生の時は、友達の雀球・アレンジボール、コインゲームセンター、雀荘などで遊び呆けて育ちました。
世間では、そんな風うに育てば、ろくな人では無いと思われるか知れませんが、門前の小僧みたいなもので、何をすれば駄目なのか、何をすれば良いのか、がわかるようになったように思います。
そんなこんなで今があります。
「戦争」「コロナ禍」「地震」「円安」「デフレ」。一体この不況はいつまで続くのでしょうか。多くの国民がこの暗いトンネルの出口を探そうとあえいでいます。
不動産業というのは、世間の人から客観的に見ても、「何か恐い」「騙される」「うそをつかれる」「ふっかけられる」等の先入観で判断されがちです。事実、我々不動産業者が同業者を見ても、「狐とタヌキの化かしあい」の様なところも事実あります。その様な部分を改善しょうともせず、勉強をせず営業努力も怠って業界自体も現在に至っています。
そのような中、やはり、お客様の喜びなしではやっていけません。私たちはお客様の笑顔を見るために、本当にいいサービスを本当に喜ばれるように、生意気かも知れませんが、感謝されるお客様をどれだけ創る事ができたのかが大切だと考えています。
しかし、現実は非常に厳しい。まずは、その訳をお聞きください。土地建物の売買の場合、売り物件はどうしても、知名度のある、信用力のある、大手に流れてしまいます。
買いの場合は、極端な話し、手数料が安ければと言われるお客さんもいらっしゃいます。要は業者などどこでもよく、ちゃんと取引が出来れば購入してくれます。 買うのはどこの不動産屋でも同じ!しかし、売るの時は、大手!と言う心理がはたらいています。
大手と街の不動産屋の大きな違いは、資金力・信用力はもとより、取引時の重要事項説明書などの書類関係など調査力と、丁寧さです。街の不動産屋は、道路・ガス・上下水道・隣地境界・道路関係などの面倒のかかる調査は最近やっと当たり前になってきました。全ての不動産屋がいい加減では決してありませんが、でも、私も含めてそうかも知れませんが、不動産屋などをやろうとする人は、一発逆転ホームランを狙うような、楽して儲けようと思う人が多いのも確かだとおもいます。
ワンダーランドの沿革は昭和33年に私の父が難波歌舞伎座裏で南新商事創業(不動産業 免許番号第1590号)。南新商事のお客様を受けつがず、平成2年敷津西に、何とか一年分の生活費を工面し有限会社ワンダーランドをオープン。ゼロからのスタートでした。
平成2年と言うと、バブルの絶頂期で土地を2~3週間も物件を抱くと数百万円も儲かるという時代でした。売買のお客様には金額も張るため、本当の歳(27歳)は言えず、33歳ですと嘘を言わないと信用もされません。
そして、不動産業さえすれば儲かると錯覚し、営業を始めたのですが、土地の値段も坂を転げ落ちるように下がり、なかなか売買の仲介ができませんでした。
私自身、まだ弱冠27歳で、妻と二人で事務所にいるだけで電話もかからず、月に1件賃貸の契約が出来れば良いほどで、売買などは皆無でした。幼い子供がいたために、事務所の2階には子供を寝さす部屋として2畳の和室(現在もあります)を作りました。妻と子を養うどころか、不動産業だけではどうにもならず、妻もパートに行き、そして、夜は子供が寝静まってから、なんとか輪転機のリースが通った機械で寒い冬も、暑い夏も、チラシ作成し、それを妻と二人で配りに歩きました。しかし、結果を出すことが出来ず。妻には迷惑ばかりをかけていました。
なんとか、かんとか5年ぐらい持ちこたえることができ、その頃から1人2人とスッタッフにも恵まれ賃貸にも力を入れ、売買と賃貸の両輪で営業を進め、おかげさまで、平成11年6月に、大阪市浪速区元町1丁目(私の実家)に2店舗目を出すことが出来ました。(2020年に難波店閉店)
いくらワンダーランドが儲らなくても、嘘をついて儲けたくはありません、お客様に喜んで戴き「また使ってやる」と言われなければと考えております。
皆様に支えられて、浪速区内の元町・敷津西・敷津東・大国・難波中・戎本町の木津中校区での売買・賃貸の仲介実績をあげられるようなりました。
その間、小学校や中学校のPTAの会長や地域のお手伝いをさせて頂くようになり、賃貸管理も雪が春の日差しで徐々に溶けるように、任せて頂けるようになりました。
今は、この様にいろんな角度から応援してくれた皆さんに感謝しています。現在スタッフは私・妻を含め7名(内宅建士6)です。
幸せ感は人それぞれ違うかも知れませんが、今ある自分は皆さんのおかげで生活できる事に心より感謝し、皆さんの喜んでいる顔を思い浮かべ、一意専心に物事にあたっていきます。
好きな言葉 死は好むべきにも非ず、亦悪むべきにも非ず。 道尽き心安んずる、便ち是死所。 世に生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。 心死すれば生きるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり。 死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。